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惜しむらくはネットの可能性が利用の面で閉じてしまっていることではないでしょうか。
有り得べき前提の欠落が発言の成立に決定的に影響しないことは強みであり、概念が先取されること。
しかし開かれていればこそ、逆に発展という内的企図に未来を奪われ、流れていればこそ、刷新という自我が棹差す外的規範への依存に機会を閉ざしている。

孔曰,文勝質則史。
統一的史観が亡霊のように立ち現れるまさに根本的な批判たらしめてきたもの『「みずから欲すること」は必然的にまだ批判的ではない土壌に根をおろし、それに参与している。たとえその土壌が、前批判的ではなく、まだ前批判的ではないにしても。(増田一夫氏訳・Spectres de Marx)』このメシア的なうねりを我々が何処でいかなる入れ物で受け取るか、これが言語を扱う者にとって焦眉なのです。
有為無為の諍論熾盛とは、社会を肉体化した復亦精神としてこれを古典的方法の下に剥離する。
貞観二年、天下収骸骨の事(旧唐書