芝蘭君子性,松柏古人心


曰雷者,以神用。用莫神於聲,(洵・樂論)
とありますが、我々にとって聞くべき響きを持っている音楽とは何か。
鶴鳴九皐、聲聞于天(小雅・鶴鳴)我々にとってそれは同じ響きを聞く心であり、同じ心であるとは、ギリシア的に言えば善を求める主体としての人間です。天が士を捕らえ、士が天命に聞くという連環を存在、或いは欲望というタームで読み解く時、今日我々がインターネットに欲望することは、ワルソーからの生き残りとして語ることでなければなりません。
龍逢、比干の心とはなんであったのか
蘇秦張儀の術とはなんのためのものか
これが問われる場所を求めて